ネットカフェで「所有」時代の終わりを実感した

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2019年12月04日投稿

目次

 

1.ネットカフェに行ってきた

昨日は、ネットカフェに行ってきた。

自遊空間という店である。

ぼくが連日外出するというのは珍しいことなので、ここ数日は行動的に過ごしている気がする。

自遊空間では、ドリンクをちびちびと飲みながらマンガ『GANTZ』を読んでいただけなのだが、3時間ほど過ごして思ったことを書いてみる。

 

2.ネットカフェという場所

ぼくが使ったのはリクライニングチェアの個室席で、デカいPCとヘッドホンが置いてあった。

ネットカフェに行ったことの無かったぼくは、もっとオープンな雰囲気を想像していたのだけれど、基本的にすべての席が小さな個室になっていて、個室ごとに内鍵も付いている。

店内は全体的に薄暗くて、なんとなくアングラな雰囲気が漂っており、空気清浄機がたくさん稼働しているのにどことなくタバコ臭い。

おそらく、好き嫌いがはっきりするタイプの店だと思う。

通路にはこれでもかという量のマンガが並べられていて、客が好きなように個室内に持っていって読めるし、ドリンクバーも個室利用料に含まれていた。

 

3.ネットカフェ難民は無理がある

そこで過ごしながら思ったことの1つは、むかし流行った?ネットカフェ難民はなかなか過酷そうだということだ。

確かに一応のプライバシーはあるし、個室席であるがゆえに外から食べ物を持ち込んでも事実上問題はなさそうで、ネットも使えるので娯楽にも困らない。

けれども、基本的に窮屈で身体が痛くなるし、ずっと薄暗くて空気も悪いので、長期間にわたってネットカフェで過ごすのは健康に悪いだろう。

もちろんフラットタイプの個室を選べば多少は楽だろうし、寝るだけの人にとっては薄暗くて都合がいいのかもしれないが、あの雰囲気の中で寝るというのはそれなりに度胸が要りそうだ。

やはり、自分の家があって、のびのび過ごせて、安心して眠れるというのは、人間にとって生活の基礎で、とても幸せなことなのだなと思った。

 

4.個人が「所有」する時代の終わり

現代社会が「所有から利用へ」という流れの中にあるというのは、あちこちで言われていることだが、実際のぼくたちの生活は多くの物を所有して成り立っており、あまりそういった社会の流れを実感する機会が多いわけではない。

ぼくのPCはぼくが所有しているし、おそらくこの記事を読んでくれているあなたのスマホも、あなたの所有物だろう。

けれども、マンガに関しては「所有から利用へ」の変化は完全に身近なものになったらしい。

もちろん、ちょっと前に書いたマンガアプリや、TSUTAYAのマンガレンタルもマンガを利用させてくれるサービスだし、ネットカフェもマンガやPCを利用させてくれるサービスであることは、ぼくも頭では分かっていた。

しかし、それは頭でわかっていただけだったようで、9時間まで1,000円で好きなだけマンガを読んでいいですよという状況で膨大な数のマンガが並ぶ棚の前に立つと、本当の意味でそういった社会やサービス形態の変化が「ああ、こういうことなんだな」と腑に落ちる感覚があった。

あれだけの数のマンガを個人で所有するとなると、収集するためのお金も、保管するためのスペースも、管理するための労力もとんでもないものになるに違いない。

もはや、マンガを集めるとか棚に並べて整理するということは業者に任せて、読みたいときに料金を支払って読ませてもらい、自分では購入したり保管したりしなくていい。

今は、そういう時代なのだと遅ればせながら実感した。