阿部彩・鈴木大介『貧困を救えない国 日本』|娯楽として消費される貧困

2018年11月26日執筆

 

こんにちは、尾崎すぐるです。

昨日は、ついにコタツを出しました。

この記事もコタツに入りながら書いています。

やっぱり温いですね~。

 

さて、今日紹介するのは、阿部彩・鈴木大介『貧困を救えない国  日本』(PHP新書、2018年)です。

 

1.概要

貧困問題の研究者で首都大学東京教授の阿部彩氏と、貧困問題の当事者を取材してきた文筆業の鈴木大介氏の、日本の貧困問題についての対談をまとめた本です。

貧困問題についての知見をそれぞれが出し合い、様々な貧困に関するトピックについて考えていくという内容です。

貧困問題について現状を把握し、原因を探り、解決策を提言します。

 

2.良かったところ

(1)「貧困を放置してはいけない」普遍的な理由がないことを認めている

第二章で、どうして「貧困を放置していてはいけない」のかを説明する際に、誰にでも納得してもらえる普遍的な理由が実は「治安維持」ぐらいしかないことを2人は正面から認めています。

そして、貧困者を危険人物扱いする「治安維持」を防貧や救貧の理由にしたくはないので、結局、「貧困を放置してはいけない」普遍的な理由が存在しないということです。

その上で、場当たり的であっても、相手に合わせた理由を用いて、粘り強く説得するとのことです。

この部分は割と好感の持てる内容だったと思っていて、こういう議論にありがちな「人道」「人権」を根拠にして言いっ放しではなく、残念ながら現実には「人道」「人権」が必ずしも説得力を持たないことを確認したうえで、「じゃあ、どう説得するか」という議論になっていました。

(2)貧困がメディアを通して娯楽として消費される

第四章「メディアと貧困」で論じられているのですが、貧困ネタが娯楽コンテンツとして消費されているという指摘です。

これは前々から感じていたことをズバッと指摘している部分で、メディアにとって貧困は「不安と安心」のコンテンツになってしまっていますよね。

そして、わざわざこの本を手に取って読み、活字を通して知的好奇心のままに貧困問題を消費しているぼくの姿を客観的に見ると、まあ、貧困コンテンツの消費者なわけです。

正直、この手の本を読んでも、自分が向上するわけではないと知りながら、お茶の間の視聴者感覚で貧困問題を楽しんでいる自分というものを意識しないようにしていましたが、まあ、意識してみると醜悪な人間ですよね。

(3)悪者は時代錯誤な教育産業

第三章「誰が貧困を作っているのか?」では、貧困家庭だけでなく、国民みんなの生活が苦しくなっている原因は、主に教育産業、他に不動産業やブライダル業にあるだろうという話になっています。

高度成長を前提とする現代では不要なサービスを押し付けられて、生活が苦しく、ハイリスクになっているということです。

これは、中退してしまいましたが、一応、大学院まで進学したぼくにとっては、実感をともなって納得できました。

実際、今の教育というのは、「大学を出て正規雇用の会社員」になることをゴールに決め過ぎて、そこを外れてしまうと、「稼ぐ力」が何も身に付いていないという現実に直面するんですよね。

教育全体が抽象的過ぎるというか、教える側の都合が優先されてしまっているなと。

 

3.イマイチだったところ

この本全体を通して、貧困の解決策がより国民負担を増やす方向で議論されているんですが、「いや、さっきまで『みんな生活が苦しい』って話してましたよね!?」とツッコミたくなりました。

2人が導入してほしいのは、公的な家賃補助らしいのですが、生活保護者の家賃だって不動産屋は限度いっぱいに設定しているわけで、これ以上不動産業に社会保障を通してお金を毟られたら、みんな生きていけませんよ。

 

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